「俺が若いころは、一社に勤め上げるのが当然だった。最近の若者は空気を読まずに、数年でサクッと転職するらしいな。」
みなさまも若手社員との価値観にギャップを感じた経験、少なからずあるのではないでしょうか?
実は若者の振る舞いに戸惑うのは昔も今も変わらないようで、兼好法師は『徒然草』の中で、若さの危うさについて語っています。
そんな鎌倉時代から700年経った現代では「働き方改革」が叫ばれ、さらには多様性が尊重される時代です。主君に尽くす「御恩と奉公」の関係に留まらず、多様な働き方を積極的に受け入れていく必要があります。
ただこの風潮が、かえって働き方を難しくしていないでしょうか。
働き方改革が過渡期にあるなか、ジョブ型雇用やパラレルワーク、転職やフリーランスといった多様な選択肢に対して、働き手の意識はまだ十分に整っていないように感じます。
いったい私たちは自身の人生において「労働」をどのように位置づけ、「働き方」をどのように選択すれば良いのか。
今回のコラムでは、パラレルワークを実践する私が、「これからの働き方」について書いてみたいと思います。
個人が良いか、組織が良いか
私は現在、化学業界で勤務する傍ら、個人で発信活動にも取り組んでいます。つまり組織人でありながら、個人事業主でもあるわけです。
こういった2つのキャリアを持つ働き方を、今ではパラレルワークと言うそうですね。パラレルワークでは異なる仕事を通して、多様な経験やスキルが身につくのが利点だとか。
確かに私の2つのキャリアは、働き方が全く異なります。
そこでまずは組織人7割、個人事業主3割で働くなかで見えてきた、組織と個人、それぞれの良さと悪さをまとめたいと思います。
個人は「気楽」だが「楽」ではない
みなさまは個人として働くことについて、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
最近は「終身雇用の不安定化」や、「働く場所や時間を自由に選びたい」といった価値観の高まりから、フリーランスなど個人事業主的な働き方も認知されるようになっています。
確かに個人での仕事は、圧倒的に制約が少ないのが特徴です。
例えば私の活動は、体とパソコンがあれば完結するため、働く時間や場所は選びません。例え昼間は寝ていても、または海外であっても、動画発信を続けることができます。
つまるところ、組織で働くより圧倒的に自由で、気楽なわけです。若い人が個人事業主にあこがれる理由も、分かる気がします。
一方で「気楽」であることは、決して「楽」ということではありません。
個人活動では、自ら仕事を作る必要があり、すべての責任を自分で背負う必要があります。そして何よりも不安定で、例えば私の場合は、季節によって収益(再生数)が増減します。
生計を立てるには、あまりにも心もとないと感じてしまいますね。
組織はたくましく鈍い
対して組織は、時間的拘束こそ長いものの、対価として安定した収入を得られます。さらに個人と比較して組織は、ギアがかみ合うことで、大きなトルクを生み出すことができるのです。
例えば、個人で動画を作成する場合、企画、台本作成、編集、サムネイル作成、投稿、コメント返信……。これらをすべて一人でこなす必要があります。
これが会社であれば、企画・マーケティング部門があり、制作チームがいて、広報や営業もサポートしてくれる。そして、それぞれの専門家が役割を担うことで、個人では到底出せないスピードとクオリティを実現できるのです。
例えるなら、もはや試験管と3t窯くらいは効率が違うのです。
ただ、関係者が多岐にわたるため、組織を動かすには時間と根回しが必要です。この意思決定のスピード感に関しては、やはり個人の方が勝ると感じます。
働き方ではなく、働く意味が違う
ここまでは、個人と組織における「働き方の違い」について語ってきました。結局は一長一短で、どちらが優れているとは一概に言えません。
ただこのコラムでお伝えしたいのは、両者の本質的な違いは「働き方」ではなく「働く意味」にあると言うことです。
というのも、個人事業主として働くということは、近代以降の歴史を逆行するような、「労働者」から「生産者」への回帰だと感じています。
いったい、どういうことか。
少し歴史の話になってしまうのですが、産業革命以前、多くの人々は農業や職人といった「生産者」でした。しかし産業革命以降、人々は時間と賃金を交換する「労働者」へと変わっていきます。
ご存じのとおり、労働の標準化や分業化は大量生産を可能にし、社会を豊かにしました。そして労働者側にとっても、個人で生きるよりも組織に属するほうが経済的・社会的に安定するようになったのです。
つまり歴史を紐解けば、人々は合理性を求めて、「個人で働く生産者」から、「組織で働く労働者」になったと言えるのではないでしょうか。
非合理的で、理想的な選択肢
では、なぜ現代において「組織で働く労働者」から、「個人で働く生産者」への非合理的な回帰が見られるのでしょうか。
これは先ほどお話しした、「働く意味」にあると考えています。
というのも、「組織で労働者」として働くことは、「生計を立てる手段」という側面が強いのではないでしょうか。一方で現代において、「個人で生産者」として働くとき、そこには「自己表現・やりがいのための生産活動」という意味合いが強いと感じています。
私自身、組織で働くことで生活は成り立っており、個人の活動から得られるお金は限られています。それでも、個人の活動には「自分の手で価値を生み出すやりがい」があります。
少し大きな話をすれば、「個人で働く」ことは、単なる安定や合理性を求めた働き方の形ではなく、「どう生きたいか」という人生設計の問いから始まるもの。したがって働き方改革とは、突き詰めれば、生き方そのものを再定義するプロセスなのかもしれません。
これからの時代、個人と組織の境界はなくなる
ここまでは私の実体験から、「個人」と「組織」では働く目的が異なる、というお話をしてきました。
そして近年は価値観が多様化したことで、「組織で合理的に働く」スタイルから、「個人でやりがいを重視して働く」スタイルに回帰する動きも感じられます。
ではこれからは「個人で働く時代」かというと、そうではないと考えています。
やはり、個人事業主は究極の成果主義です。多くの人にとっては「個人で働きたいけれど、現実的には組織で働かざるを得ない」というのが本音ではないでしょうか。
だからこそ、私がこれからの時代に期待するのは、「個人への回帰」ではなく「個人と組織の境界がなくなること」です。
現在、企業は働き方改革を進めており、社員がやりがいをもって、自律的に働く環境を整えています。同時に、社会の価値観や趣味・娯楽の多様化が、ニッチなニーズを生み出し、個人の活動の幅を広げています。
その結果、組織の中でも「個人事業主のように働く人」が増え、そして個人事業主は「組織と共創する」関係が当たり前になっていくのではないでしょうか。実際、私自身も個人で活動するなかで、化学工業日報社様とコラムで共創する機会を得ました。これは、まさに「個人と組織の境界がにじみ始めている」ことの現れなのかもしれません。
ちなみに兼好法師は『徒然草:世に従わん人は』で、「とかくのもよひなく、足を踏みとどむまじきなり。」と綴っています。「重要なことはすぐに進行するから、足を踏みとどめてはならない。」といった教訓で、変化の時代に立ちすくむのではなく、自らの意志で一歩を踏み出すことが、これからの働き方を切り拓く鍵なのかもしれません。


