長続きのコツは、あきらめること

コラム

三日坊主の含意

趣味や運動、学習など、一念発起して挑戦したものの長続きしなかった経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。

三日坊主という言葉があるように、継続とは古くから難しい営みのようです。

ちなみに三日坊主は仏教関連の用語で、悟りを目指して仏門に入ったものの、修行の厳しさに耐え切れず、三日で辞めてしまう僧に由来するようです。

なので、長続きしない人を指して、三日坊主というわけですね。

ところがこの話、ただの怠け者の逸話というわけでもなく、仏教の修行はしっかり厳しいものだったそうです。朝早くから日没後まで掃除などの雑務をはじめ、読経や座禅瞑想などをこなし、規則正しい生活を送る必要がありました。

この三日坊主の逸話を知ったとき、仏教の修行は三日も耐え難いほど過酷だったのか、と驚くと同時に、それにもかかわらず「自分なら続けられる」と仏門に入る人がいた事実に、はっとさせられました。

つまり三日坊主には、人は意思を過信しすぎる、という戒めがあるのではないかと。

継続のコツは安定調達

少し余談が長くなりましたが、私たちが何かに取り組もうとするとき、多くの場合は意思の力で物事を継続しようとします。

ただ、意思が強ければ何とかなるほど、継続というものは単純ではありません。実際のところ、意思の力だけで物事を継続できる人は、例外的な存在ではないでしょうか。

例えば私自身、本業の会社員と並行して、SNSでの発信活動を継続しています。時には、日々の生活でそれほど自由に時間が取れないこともありますし、なんなら「今日は筆が重いなぁ」と思う日もあります。というか、しばしばあります。

それでも何とか継続できているのは、燃料を切らさないようにしているため。

私の経験的に、物事を継続するには、まず動力源となる燃料インフラを構築しないといけません。それも、できれば意思のような、不安定な燃料に依存しないことが肝です。

やはり、意思は生もの。その供給は非常に不安定で、在庫も積めません。供給が途絶えればすぐに枯渇して、燃料切れから三日坊主に陥ります。

人も工場と同じで、一度止めると再稼働が大変です。
したがって物事を継続するには、燃料を安定的に調達するインフラ、つまり習慣化や環境設定のような仕組み化が重要になります。

それは例えば、毎日同じ時間に机に向かうルールを作るなど、とにかく意思に依存せず動ける状態にしておくことが挙げられます。
何かをするために毎回アクセルを踏むのは大変ですが、こうした習慣は、背中をふっと押してくれる感覚があります。

私の場合はほかにも、応援してくださる方の存在もあります。綺麗事をいうようですが、発信を受け取ってくださる方がいるからこそ、「ちょっとくらい頑張らないとバチが当たるよな」と自分を奮い立たせることができます。

もちろん好きでやっている、性に合っているという前提はありますが、こうした意思に依存しない仕組みづくりが、継続の土台にあると感じています。

仕組みの沼

では、継続の仕組みさえ整えれば安心かと言えば、そうでもありません。

例えば企業をみると、違った光景が広がっています。

なかなか芽が出ない研究テーマ、赤字に転落する事業など、継続すること以上に、辞め時の判断に苦労している印象を受けます。

はたして今直面している壁は乗り越えるべき難所なのか、それとも出口のない袋小路なのか。研究も事業も一朝一夕には成果が現れず、長期にわたる継続によって初めて意味を持つもの。したがって引き際の判断は難しいものです。

ただ私は、これは単なる判断の難しさの問題ではなく、仕組みそのもののエラーではないか、と感じています。

いったいどういうことか。

たとえば企業では、業務の標準化や定例会議、目標管理、さらには取引先やサプライヤーとの関係など、事業を継続するために多様な仕組みが組み込まれています。

こうした仕組みのおかげで、企業は人々の意思やモチベーションに過度に依存することなく事業を続けられます。これは大きな利点である一方で、こうした継続のために仕組み化を突き詰めれば、当然意思の介在は減っていきます。

もし意思を持たず仕組みに安住すれば、工夫や改善点を探さなくなり、続けることそのものが目的にすり替わってしまう。つまり、仕組みが形骸化するリスクを抱えているのです。

私自身も発信活動を続ける中で、問題なのは辞め時を見失うことではなく、辞められない体質になっていくことではないか、と感じています。

諦めるとは、あきらかにみる

以上をまとめると、長く継続するためには仕組み化が有効です。しかし仕組み化は意思の介在を減少させ、いずれはその仕組みが形骸化するリスクを抱えている、という話でした。

では、形骸化せずに継続するには、どうすればよいのか。

本来、外部環境が変わる以上、仕組みもまた柔軟に変えていく必要があります。
継続とは不変であることではなく、変わり続けることだからです。

そこで、あらかじめ変化のための仕組みを仕込んでおくことが有効ではないかと考えています。

例えば私の場合は、仕組みの中に余白を持たせるようにしています。

具体的には、私のYouTubeチャンネルは、不定期更新をモットーにしています。YouTubeのアルゴリズム的には一定ペースの更新が好ましいと言われますが、あえて立ち止まれる余地を残しているのです。

YouTubeを継続するための仕組みとして不定期更新にするのは、一見矛盾した話かもしれませんね。
むしろこうした余白は、単なるサボりではないのか、という声も聞こえてきそうです。

ただ一番問題なのは、いざ辞めるべき時が来ても、辞められないことだと考えています。
なので日ごろから、現在地を見直したくなったとき、不具合を感じたとき、あるいは新たな挑戦をしたくなったとき、すぐに立ち止まり、現状を見極めるよう心掛けています。

例えば最近の私の話だと、文字での情報発信は祖業のブログから、noteへ移行しつつあります。
AI時代、求められるのは不特定多数へ届けるプラットフォームではなく、読者と直接つながれるプラットフォームだと考えたからです。

形は変わるかもしれませんが、今後も情報発信を続けていく所存です。

なお仏教では、悟りを「諦」と説くそうです。

ただしそれは諦めて投げ出すことではなく、煩悩や執着を手放すこと。つまり事実をありのままに見て、受け入れることを意味します。

修行を通して「諦」を深めることで、悟りの境地に近づくわけです。

三日坊主は修行を投げ出してしまいましたが、諦めずに修行を乗り越えた先にあるものもまた、諦である。
どちらの意味にせよ、人は諦めることで前に進んでいく生き物なのかもしれませんね。

ごりお
大学院を修了後、化学業界に勤務。YouTube、ブログ、noteなどで化学業界や企業解説を発信中。YouTubeは登録者4.3万人。