燃料、食料、薬物…「炭素」が動かしてきた人類の文明

コラム

地球には様々な物質が存在しますが、そこに命を宿す植物や動物に欠かせない元素があります。

時には宝石、時には私たちに欠かせない栄養源、燃料、時には強靭な化学繊維。

そんな変幻自在な物質が、原子番号6番に位置する「炭素(C)」とその化合物です。

炭素や炭素化合物はわたしたちの体を構成する大切な物質であり、プラスチックなどの形で身の回りに溢れているように見えます。
しかし炭素は地球上では微量元素だということはあまり知られていません。

そしてこの微量元素「炭素」をめぐって、人間の歴史も動いてきたという話題があります。

地球に0.08%しか存在しない微量元素

実は炭素は、地表と海中に0.08%しか存在しません。
一方で人体の18%は炭素からできています。人体はほとんどが水分ですから、水分を除けば人体の半分は炭素なのです。(*1)

例えば、わたしたちのエネルギー源になるデンプンは、下の構造式で示されます。

(出所:独立行政法人農畜産業振興機構「でん粉」)
https://www.alic.go.jp/joho-s/joho07_002639.html

6個の炭素原子が正六角形の平面構造をつくる「ベンゼン環」を含むユニットが長く連なってできています。多くの炭素分子で構成されていることもわかります。

デンプンは植物が光合成で生成した「グルコース」が重合されたものです。

1万数千年前に農耕を始めた人類は、小麦、米、トウモロコシ、芋類などの炭水化物であるでん粉からカロリーの多くを得てきました。(*2)

また人体について言えば、私たちの生命維持に欠かせないDNAも、炭素原子が5角形に繋がった環の連続が骨格の役割を果たしています。それぞれの炭素の環にどのような塩基がついているか、どう並んでいるかで、作られるタンパク質の特徴が決まり、人体に影響を与えるのです。

炭素が動かしてきた人類史

それほど炭素は地球上の人類にとって貴重な存在ですから、炭素争奪戦が人類の歴史を動かしてきたという考え方があってもおかしくありません。
炭素化合物が歴史に関係してきた事例をいくつかご紹介しましょう。

昆布が幕府を倒した?

食べ物の「うま味」の正体は炭素化合物である「グルタミン酸」です。「うま味調味料」として市販されているのは皆さんご存知のことでしょう。

(出所:国立環境研究所「ヒト脳をモニタリングする 〜MRIを用いてグルタミン酸とGABAを測る〜」)
https://www.nies.go.jp/kanko/news/25/25-3/25-3-03.html

そしてグルタミン酸を豊富に含んだ食品のひとつに、昆布があります。(*3*4)

江戸前期までの食事は、塩、味噌、醤油による調理がメインでした。
昆布は海水温の高いところでは育たず、主な産地は蝦夷(いまの北海道)と遠方でしたが、西回りの航路が確立されると大坂から昆布を使った「出汁文化」が広がり、日本に食革命をもたらしました。まさに日本人が「うま味」を発見した瞬間だったのかもしれません。

この流通経路は「昆布ロード」とも呼ばれます。

(出所:ミツカン 水の文化センター「機関誌『水の文化』54号 和船が運んだ文化)
https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no54/04.html

また清王朝で昆布は薬としても重宝されていたため、薩摩藩は良質な昆布を大坂で仕入れて清王朝に密輸し、膨大な資金を得て財政を立て直して富を築いていきました。
その資金力で明治維新を果たしたと言われているのです。

アヘン戦争

そして炭素化合物が戦争までを引き起こした事例として触れずにいられないのは「アヘン戦争」です。

ケシの未熟な果実に傷をつけて得られた乳液に鎮痛・催眠などの効果があることが発見されたのは5000年以上も前のことだったと見られています。(*5)
この乳液を干し固めたのが「アヘン」です。

しかしアヘンは服用すると多幸感をもたらす一方、切れると禁断症状に苦しめられます。人を魅惑しその心身を蝕む麻薬なのです。その成分の代表的なものが、今では医療現場に欠かせないモルヒネ(C17H19NO3)です。

19世紀に紅茶ブームが巻き起こり、原産地である清王朝への外貨流出に悩んだイギリス政府はアヘンを栽培し、吸引方法まで一緒に清のみに売り込み始めました。この仕掛けにより清は政府高官から庶民に至るまでアヘンに蝕まれていきます。たまりかねた清政府はアヘンの輸入を禁止しますが、イギリスがこれに怒ってアヘン戦争が勃発したのです。
結果は、清の大敗です。

「炭素文明論」の著者である佐藤健太郎氏はこのように述べています。

もし、ケシという植物がモルヒネを作らなかったら、あるいはモルヒネの構造が原子一つ分違っていただけでも、こうしたアジア史の流れはずいぶんと違ったものになっていただろう。
無論これは、モルヒネに限った話ではない。砂糖、カフェイン、ニコチンなど、多くの炭素化合物でいえることだ。
(引用:佐藤健太郎「炭素文明論」p26)

アルコール、石油、そして戦争に投入され世界を変えてきた火薬も炭素化合物です。
こうした不思議に出会うことは、化学研究の真骨頂であるといえるでしょう。

炭素を回収せよ

炭素化合物はもはや私たちの生命・生活に欠かせないものとなりました。
しかし地球の人口は増え続け、現存する資源でそれを支え切れるかというと、難しそうです。

かつ、私たちは現在、CO2を「温暖化を招く悪者」として忌み嫌う傾向のある社会に生きていますが、このCO2から炭素を回収する試みは必須のものといえます。様々な研究が進んでいます。

人工光合成

そこで現在進められているのは、CO2からどうやって炭素を分離(還元)しカーボンリサイクルを進めるかという研究です。植物の光合成も大気中のCO2を還元して炭化水素を作るという反応ですから、これを人工的にいかに安いコストで再現するのかを追求しているわけです。
しかしまだ、様々な課題が残っています。(*6)

ノーベル賞と炭素

一方で朗報もあります。
2025年のノーベル化学賞を受賞した京都大学の北川進氏ら3名は、「MOF」という物質を開発した研究者です。MOFは従来の方法に比べて10倍超の量でCO2を回収できる金属有機構造体です。さらにMOFを充塡したタンクでは、前に比べて約18倍の量のCO2を貯蔵できるといいます。(*7)

CO2から炭素を分離するには、まずCO2を回収、貯蔵できるしくみが必要です。MOFの開発は、一連の炭素リサイクルの研究を大きく推し進める成果となることでしょう。

微量元素である貴重な炭素を燃やして、再利用がほぼ難しい物質に変え、廃棄してしまう。その結果温暖化を招き、自ら苦しむというパラドックス、これが近代工業化社会で人類が続けてきたことの真実です。

自然界から資源を「搾取」するのではなく、「拝借」して人間は生きている、だから借りたものは返すーそのように考え方を改めていく必要があるでしょう。

*1
日本経済新聞「炭素文明論」
https://www.nikkei.com/article/DGXDZO58710400Q3A820C1NNK001/

*2
独立行政法人農畜産業振興機構「でん粉」
https://www.alic.go.jp/joho-s/joho07_002639.html

*3
JR西日本Blue Signal「北前船が運んだ北陸の食文化」
https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/06_vol_104/feature02.html

*4
ミツカン 水の文化センター「機関誌『水の文化』54号 和船が運んだ文化
https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no54/04.html

*5
佐藤健太郎「炭素文明論」p23-25

*6
東京大学「大気中のCO2を資源に変えられるってホント?」
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00242.html

*7
日経クロステック「MOFで二酸化炭素回収、従来比10倍超 30年以降に実用化へ」
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/03432/121900004/

清水 沙矢香(しみず さやか)
2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。取材経験や各種統計の分析を元にWebメディアや経済誌などに寄稿中。