「春眠暁を覚えず」という言葉がありますが、季節を問わず、日中の眠気に悩まされているという方も少なくないのではないでしょうか。
筆者も例外ではなく、お昼を食べた後についうとうとしてしまったり、読書をしているうちに気がつけば眠ってしまったりと、どうしても抗えない眠気と日々向き合っています。
一般的に、居眠りの原因としてまず思い浮かぶのは、睡眠不足や生活習慣の乱れでしょう。
ときには「気合いが足りない」「集中力の問題だ」と、気持ちの問題として片付けられてしまうこともあるかもしれません。
しかし、近年の研究により、眠気には体内で起こっている分子レベルの変化が深く関わっていることが明らかになってきました。
キーワードは「タンパク質のリン酸化」、これまでベールに包まれてきた眠気の正体が、少しずつ見え始めています。
「眠気」に個人差あり?
現代社会では、SNSを中心に睡眠に関するアドバイスやライフハックが数多く共有されています。
「質の良い睡眠を目指しましょう」というキャッチフレーズをもとに、枕や寝具、サプリメントなど、睡眠をサポートする製品も次々と販売されています。
それだけ多くの人が、睡眠に関する何らかの悩みを抱えているのかもしれません。
学生時代、授業中に居眠りをしてお叱りを受けたことは数知れず、現在も「眠い」が口癖の筆者自身もそうした悩みを抱える当事者の1人です。
家事に仕事にと、日中にやることは山積みなのに、気づいたら昼寝をしてしまい、「ああ今日もやってしまった」と後悔する日々が続いています。
しかし周囲を見渡すと、授業中や会議中に一度も居眠りをしたことがないという人も確かに存在します。
睡眠は生きていくうえで欠かせない行動であるにもかかわらず、眠気の現れ方には少なからず個人差があるのではないか、これはあくまで筆者自身の実感ですが、以前からそんなふうに感じています。
たとえば、小さい子どもは眠気を感じるとぐずぐずしたり、うまく眠れなくて機嫌が悪くなったりします。
眠くてぐずってしまうのは育児あるあるの一つではありますが、実際に子育てを経験すると、睡眠や眠気に関する個人差を強く実感します。
この乳幼児の睡眠や眠気への影響の差は、大人にも通ずることなのかもしれません。
生活をしていくうえで、わずらわしいと感じる「眠気」は、もちろん眠るために存在する重要なサインです。
それでも私たちは、なぜ眠くなるのか、なぜ人によって眠気の現れ方が違うのか、意外なほど知らずに日々を過ごしています。
睡眠の正体は謎に包まれている
2000年前後までの行動学的な定義では、哺乳類や魚類、鳥類などの脊椎動物に加え、背骨をもたない昆虫などの無脊椎動物も睡眠をとるとされていました。
しかし2017年、脳を持たないクラゲも眠ることを示す衝撃的な論文が発表されました。
この発見により、睡眠は脳の発達とともに獲得された行動ではなく、より原始的な生物にも備わっている、生命にとって根源的な行動であることが明らかになりました。
そして、生きるうえで必要不可欠である睡眠を促し、適切な睡眠時間を調節するのが「眠気」です。
眠気自体は、覚醒している時間とともに徐々に蓄積され、一定のレベルに達すると入眠し、そして眠ると解消される、まるで「ししおどし」のようなシンプルな仕組みになっています。

出所)Science Portal「「眠気」の正体が見えてきた~1万匹のマウスと向き合い、睡眠の謎に迫る~」
https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/sciencewindow/20200130_w01/
では、「眠たい」と「眠くない」を切り替えるスイッチは、一体どこに存在しているのでしょうか。
長年にわたって研究が進められてきたにもかかわらず、睡眠を制御する「眠気」がどのような仕組みで生じるのか、そのメカニズムはいまだ完全には解明されていません。
そもそも、人間を含む生物が「なぜ眠らなければいけないのか」という問いですらも、いまだに多くの謎が残されています。
野生動物にとって眠るということは、場合によっては捕食されるリスクを高め、命に関わる危険な行動であるとも考えられます。
それでもなお、ほぼすべての動物が睡眠を必要とし、長い進化の過程でも眠ることを手放すことはありませんでした。
睡眠は生命の維持に欠かせないものであり、人間は人生の約3分の1を睡眠に費やしています。
しかし、睡眠を促すサインである「眠気」は、日常生活の中では「厄介なもの」として扱われがちです。
とくに仕事や家事、学業に追われている生活のなかでは、眠気は生産性を下げる要因の一つとされ、「どうすれば眠くならないのか」「すっきりと目覚めるためにはどうすればいいか」といった具体的な対処法に意識が向きやすくなります。
その結果、私たちは眠気そのものの正体を深く理解する前に、眠気をコントロールしようとしているのです。
眠い時におこっている体内での化学変化
睡眠と密接に関わる「眠気」の正体をさぐるため、生命維持活動を体内で起こる化学反応として捉える生化学的なアプローチによる研究が進められています。
この研究では、人間と同じように脳波を計測できるマウスをモデル動物として、眠気におそわれている時、脳内でどのような変化が起こっているのかを解明することを目的としています。
具体的には、遺伝子操作によって睡眠時間が長く、覚醒している時間が短い「Sleepy(スリーピー)」という家系のマウスと、眠れない状態に置いて眠気が強まっているマウスの2種類を用いて、生まれつき眠くなりやすいマウスと、強制的に眠気を強めたマウスを比べることで、「眠気そのもの」に共通する脳内の変化を観測しています。
研究の結果、2種類のマウスは共通して、眠気の強さに応じて80種類のタンパク質がリン酸化していることが明らかになりました。

出所)筑波大学「「眠気」の生化学的な実体に迫る」p.3
https://wpi-iiis.tsukuba.ac.jp/uploads/sites/2/2018/06/180613yanagisawa-3.pdf
リン酸化とは、特定の分子にリン酸基が付加されることで起こる化学反応のことです。
なかでもタンパク質のリン酸化は、タンパク質の働きを切り替えたり、調整したりする重要な役割を担っています。
この実験によって、眠気は数多くのタンパク質の変化の積み重なりによって起こっていることが世界で初めて示されました。
さらに、眠気にかかわる80種類のタンパク質のうち、69種類が神経細胞同士のつなぎ目である「シナプス」の機能や構造に重要なタンパク質であることがわかっています。
以前から、「なぜ私たちは眠らなければならないのか」という問いに対する有力な仮説の一つとして「シナプスの恒常性説」が提唱されてきました。
「シナプスの恒常性説」とは、起きている間に使いすぎたシナプスを睡眠によって整え直し、脳のバランスを保っているという学説です。
今回の研究成果から、眠気に関わるタンパク質は、単に「眠くなる」現象を引き起こすだけでなく、睡眠そのものの役割を理解するうえで重要な鍵を握っている可能性が高いと考えられます。
眠気がコントロールできるようになる日は近い?
眠気と睡眠の役割については、今もなお研究が続く大きなテーマです。
近年の研究によって、眠気の強さに応じて、脳内の特定のタンパク質に化学的な変化が起こっていることが明らかになってきました。
眠気は単なる「気分」や「意志の問題」だけでなく、体内で進行する化学反応の積み重ねとして生じている可能性が示されつつあるのです。
睡眠や眠気を生化学的なアプローチで理解することは、今後の睡眠研究における新たな手がかりになると期待されています。
日々悩まされている眠気も、少し見方を変えて体内で起こっている変化として捉えることで、睡眠との向き合い方が変わってくるかもしれません。


