「モラル」=規律や秩序を守る道徳心、良心といったところで、群れで生活するわたしたちにとっては欠かせないものです。
わたしたち人類はどのようにモラルを身につけ、どんな場所でモラルを発揮するのかについては、様々な科学実験が行われてきました。
これらの結果を紹介しながら、わたしたちの群れである組織や社会がどう動いてきたか、組織の中ではこれらの実験結果を使うことができるか、考えてみたいと思います。
「人の目」の効能
「人の目」は、何かと気になるものではないでしょうか。特に自分になにかやましいことがある時、誰かと目が合うことはかなり居心地が悪いようです。
カメラよりもサーチライトよりも「人の目」
住人の不在時に家に忍び込み、金品を盗み取ったりする侵入犯。
彼らは事前にしっかりと下見をして、侵入する家を決めています。そのポイントとしては庭木など身を潜められる場所があるか、立ち話をしている人はいないか、犬はいないか。
それだけでなく、収集指定日にゴミを出していたかどうか。ゴミが出ていなければ侵入のチャンスとも捉えるのです。
そんなこともあり筆者は特に夜、不在時でも電気を消さないようにしています。
ところで警察庁が、空き巣など侵入犯の心理について調べた統計があります。
統計によれば、こうした侵入犯の心を折る最大の要因は、実は「人の目」なのです。

(出所:警察庁「住まいる防犯110番」)
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki26/theme_a/a_e_3.html
お金のかかる防犯ビデオやセンサーライトよりも、「声をかけられた=見られた」ことが圧倒的に侵入防止に役立っているのです。
紙に印刷された「人の目」の効能
では、人の目は直接的なものでなければないのか?
じつは紙に印刷された「目」にも、人にモラルある行動を喚起する効果があったという実験があります。(確認用番号*1)
実験が行われたのは、イギリスのニューキャッスル大学です。
この大学ではコーヒーや紅茶を飲んだら、自主的に「正直箱」という箱に指定された金額を寄付する仕組みになっています。しかしこれではタダ飲みも発生してしまうことでしょう。見られていなければごまかせる、と考える人がいてもおかしくありません。
そこで、ベイトソン教授らはある時こっそり、飲み物が置かれた台の前に「目の写真」のポスターと「花の写真」のポスターを毎週貼り替えてミルクの消費量をチェックする、という仕掛けを設置しました。
イギリスでは紅茶にほぼ間違いなくミルクを入れるため、ミルクの消費量と正直箱に入っている金額で紅茶を飲んだ「正直者」の増減がわかるというわけです。
すると、不思議なことが起きました。
「目の写真」のポスターを貼った週では、「花の写真」の週に比べて多くのお金が「正直箱」に入れられていたのです。
さらに週によっては「花の写真」の週よりも「目の写真」の週に、正直箱に2倍以上のお金が入っていました。
警察庁の統計とこの実験が示唆するものがあります。
実物であれ印刷されたものであれ、「人の目」は他人にモラルある行動を促すようだ、ということです。
SNS時代で「人の目の効能」が変容?
しかし「人の目」の効能は、思わぬ副作用を起こすこともあります。
会社組織の中で上司・部下ともに相手に対して「ジェネレーションギャップ」を感じることが増えてきてはいないでしょうか。
近年台頭してきた「退職代行」もそのひとつだと筆者は考えています。
「人の目」への耐性
上にご紹介してきたのは、いわば「知らない人の目」です。
では「知っている人の目」がそこにある場合、人の行動にどんな効果を与えるのでしょう。
結論から言えば、「萎縮する」方に向かうようです。
いま退職代行業が話題になっています。職場の上司や経営陣と顔を合わせることなく退職できるというサービスです。
マイナビの調査によれば、直近1年(2023年6月以降)に退職代行を利用したことのある人の割合は16.6%にのぼりました。

(出所:株式会社マイナビ「「退職代行サービスに関する調査レポート(企業・個人)」を発表」)
https://www.mynavi.jp/news/2024/10/post_45368.html
その理由として挙げられているのが、下のような項目です。

(出所:株式会社マイナビ「「退職代行サービスに関する調査レポート(企業・個人)」を発表」)
https://www.mynavi.jp/news/2024/10/post_45368.html
「手続きの面倒さ」よりも、「退職を引き留められた・引き留められそうだった」から、「自分から退職を言い出せる環境でないから」「トラブルになりそうだから」といった理由が強いのです。
「退職」そのものはモラルに反することではないのですが、それを何か後ろめたいことのように本人が感じてしまっている以上、上司や担当者に会って目を見ると罪悪感を回避するように行動してしまうのでしょう。あげく、誰とも会わずに済む退職代行を選びがちなのではないでしょうか。
なぜそうなったのか。
昭和であれば、父親の帰宅を待って家族で食卓を囲み、見たいテレビ番組の時間を一緒に待った。そんな団欒が日常でしたが、SNSの台頭でこの規律が狂い始めているのでしょう。
京都大学の元総長でゴリラ研究の第一人者である山極寿一氏はこう述べています。
ところでインターネットの世界で、フェイスブックが世界的に流行していますね。
<引用:山極寿一「サル化する人間社会」集英社 p171>
(中略)
この現象は、通信手段や映像を使って、仮想的な視覚空間の中で効率重視のネットワークを作り、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを避けようとしているとも言えます。
直接集合することで生まれる「場の倫理」
また、日本人の特性として「個の倫理」よりも「場の倫理」が優先されがちだという意見もあります。心理学者の河合隼雄氏はこう述べています。
これはみなさん、なんとなく経験のあるシチュエーションではないでしょうか?
たとえば交通事故の場合を例として考えてみたい。ここで、加害者が自分の非を認め、見舞に行くと、二人の間に『場』が形成され、被害者としてはその場の平衡状態をあまりにも危うくするような保証金など要求できなくなる。
<引用:河合隼雄「母性社会日本の病理」講談社+α文庫 p25-26>
(中略)
加害者が言い逃れをしたりすると、これは被害者と同一の『場』にいないものと判断し、徹底的に責任の追求ができることになっている。つまり、わが国においては、場に属するか否かが全てについて決定的な要因となるのである。場の中に『入れてもらっている』かぎり、善悪の判断を超えてまで救済の手が差し伸べられるのだが、場の外にいるものは『赤の他人』であり、それに対しては何をしても構わないのである。
被害者が思うような賠償請求を言い出せなくなるー考えてみればおかしな、ある意味では怖い話です。ただ、そのくらい「面と向き合う」ということにはパワーが要る、ということです。
近年の退職代行の増加は、この「場の空気」を恐れるあまりの結果ではないかと筆者は感じたりするところがあります。「話すのはいいけれど、面談の場は嫌い」といった具合です。
あるいは「普段ほとんど自分の顔色など伺ってくれない上司」からいきなり面と向かって話されても困る、といったこともありそうです。
「共感」の力で乗り越えられるか
さて、このような時代にあって研究の世界でも注目されているのが「共感」の世界です。
哺乳類の場合、他者に起きたことを見ると、あたかも自分も同じ目にあっているかの行動を取るという研究があります。
マウスを用いた実験に、このようなものがあります。
カナダのジェフリ・モウギル氏によるものです。
モウギルはマウスを二匹ずつ痛みの実験にかけた。まず、お互いが見えるように別々の透明なガラス管に入れる。次に、一方あるいは両方に水で薄めた酢酸を注入する。こうすると、研究者の言葉を借りれば、「軽い腹痛」が起きることがわかっている。
<引用:フランス・ドゥ・ヴァール「共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること」p105>
さて、その結果はどうだったのでしょうか。
酢酸を注入されたマウスは、体を伸ばす動きを見せ、不快感を示唆する。基礎実験から、マウスは(もう一匹が酢酸を注入されていないときとは対照的に)、相棒が体を伸ばしていると、余計に体を伸ばす動きを見せることがわかった。
<引用:フランス・ドゥ・ヴァール「共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること」p105 >
また、知らないマウスどうしではなく、同じケージに飼われているマウスどうしでないと、この現象が見られないことも明らかになった。
興味深いのは、マウスの実験において、「同じケージで飼われているマウスどうしでないと」痛みへの共感の動きが見られなかった、という点です。
日頃から同じ場所にいる関係だからこそ共感の行動が生まれた、というのがこの実験結果なのです。ミラーニューロンの存在だけでは説明のつかない「共感」が動物には存在するはずだ、とするのがヴァール氏の考えです。
会社組織に当てはめれば、こっぴどく部下を叱る。するとその場にいた全員が叱られたような気分になり意気消沈します。日頃から部下の考えを汲み取っていそうな姿を見ると部下はその姿に「共感」し、接しやすい上司だとその人を認識します。
「個との関係」ではなく「場の関係」との信頼を築くことができているか?
今一度、確認したいものです。


