化学業界のリスクとは?
企業活動には常にリスクが伴う。そのリスクとは自然災害や地政学的な不確実性、法規制や技術革新の変化、そしてサイバー攻撃の脅威まで、多岐にわたる。こうしたリスクを企業はどのように捉え、対処しようとしているのか。その一端を知る手がかりとなるのが、企業が公表している有価証券報告書に含まれる「事業等のリスク」である。
「事業等のリスク」には経営成績や財政状態などに重大な影響を与える可能性があると企業自らが認識しているリスクが列挙される。とりわけ化学業界では、他業種と比較すると、①災害・事故の影響、②原材料調達やエネルギー価格の変動、③品質問題や製造物責任(PL)の3つのリスクの記載が目立つ。これらは化学業界の上場企業のうち、9割前後の企業が共通して挙げているものであり、事業活動に内在する危うさを物語っている。
化学製品は製造工程において高温高圧などの特殊な条件を要することが多く、工場における事故、すなわち、設備事故や化学物質の流出などのリスクと常に隣り合わせにある。また、原材料の多くが石油などの国際商品市況の影響を受けやすく、価格変動の影響が直接的に利益に跳ね返る構造も業界特有である。
品質問題についても同様だ。一度不具合が発生すれば、自動車や電子部品など顧客のサプライチェーン全体に波及するため、賠償責任やブランド毀損リスクは極めて大きい。このように化学産業は、物理的・経済的なリスクを高度に管理しなければならない産業であることがわかる。さらに注目すべきは、環境規制や気候変動への対応に関する記載が他業界に比べて多い点である。カーボンニュートラルの潮流や、欧州を中心とした環境基準の厳格化により、環境対応はもはやCSRの一環ではなく、企業価値に直結する経営課題となっている。
注目すべき最近のリスクは?
こうした従来からのリスクに加え、近年新たに注目されているのが「関税(特に米国関税)」と「サイバー攻撃」に関するリスクである。EYの化学セクターチームが行った、化学業界の連結売上高上位20社の有価証券報告書(2025年3月期)の「事業等のリスク」の分析によれば、前年には記載がなかったにもかかわらず、新たに「関税」に言及した企業が9社に上った。従来から記載していた4社と合わせると、実に20社中13社が関税リスクに触れていることになる。
この背景には、米国の対中政策や世界的な保護主義の広がりがある。化学製品は国際間の取引が多く、関税の引き上げは直接的に価格競争力を損ない、輸出入戦略の見直しを迫られる可能性がある。「売値への価格転嫁」や「サプライチェーンの再構築」といった対応策が記載されているが、具体的な戦略まで踏み込んだ開示は少なく、なお検討段階にある企業が多いことがうかがえる。
もうひとつの注目すべきリスクが、「サイバー攻撃」である。グローバルに事業を展開し、製造拠点やグループ会社を多数抱える化学企業においては、情報システムへの依存度が年々高まっている。各拠点からリアルタイムでデータを集約し、財務諸表を作成する体制が整備されているが、ひとたびサイバー攻撃によるシステム障害が発生すれば、タイムリーな情報連携が阻害され、財務諸表の作成や公表が遅延する恐れもある。今回の分析では、20社中15社がサイバーリスクに関する記載を行っており、記載内容も年々具体性を増している。
たとえば、リスクの高いエリアの特定と監視、ネットワークの多重化・強化、従業員への教育訓練によるセキュリティ意識の醸成など、多層的な対策が示されている。近年はランサムウェア攻撃やサプライチェーン攻撃など、攻撃の手法も高度化しており、企業側の備えも不断の見直しが求められている。
数字では語れないリスクを読み解こう!
「事業等のリスク」の記載は、単にリスクの列挙ではない。発生可能性やその時期、企業の対応方針までを含めて記載することが求められており、企業が何をリスクと捉え、どう対応しようとしているのかを知るための貴重な情報源である。企業の将来像や経営者の問題意識、さらには業界全体のトレンドまでも読み取ることができる。読者が複数の企業の有価証券報告書を比較する機会は少ないかもしれない。しかし、ビジネスパートナーや競合他社、投資先企業など、関心を寄せる化学企業の有価証券報告書を一読することで、これまで見えていなかった事業リスクや対応の巧拙が浮かび上がってくるはずである。特に「事業等のリスク」の項目は、数字では語れない企業の内面を映す鏡として、今後ますます重要な意味を持つに違いない。


