AIの発展をはじめとするデジタル技術の普及により、私たちの暮らしは大きく変わりつつあります。
急速に変化していく社会に対応するために、AIやロボット関連のエンジニアの需要は、今後より高まることが予測されています。
一方で、理系人材の不足は以前から繰り返し指摘されています。
高等学校の教育改革や大学の理系拡充、さらには理工系学部における女子枠の設置など、近年はとにかく「理系を増やせ」という動きが加速しているように感じます。
しかし、ふと立ち止まって考えてしまうのです。
本当に足りないのは、「人数」だけなのでしょうか。
「理系人材不足」という言葉の裏側には、単なる人数の不足だけではなく、さまざまな問題が潜んでいるように感じています。
理系人材「100万人不足」の衝撃
2025年に実施された文部科学省による有識者会議では「2040年に理工系技術者が100万人以上不足し、大卒の文系人材は約30万人が職に就けない」というショッキングなデータが示されました。
背景にあるのは、AIの台頭やロボット技術の発展などによるデジタル技術の進展です。
産業構造が変化し、これまで多くの人材が必要であった事務や販売、サービス業などの需要が縮小する一方で、AIエンジニアなどの技術者の需要が拡大することが見込まれています。
こうした状況を受け、2026年2月には、文部科学省が理系人材育成を含む高校教育改革の「グランドデザイン」を発表しました。
ここで注目すべき点は、将来的には文系・理系の区分がなくなることを目指しつつ、2040年までに普通科高校における文系・理系の生徒割合を将来的に同程度とするという目標を掲げているところです。
ちなみに、令和6年の時点では、普通科高校の最終学年では文系が約5割、理系が約3割を占めており、通信制を含めると理系の割合は3割弱にとどまっています。
曖昧な方向性の提示ではなく、明確な数値目標を掲げたことは、これまでにない踏み込みと言えるでしょう。
それだけ理系人材の確保が、日本の産業を支えるうえで喫緊の課題となっていることが窺えます。
「女子枠」は理系人材不足を解決するのか
「理系人材確保」と切っては切り離せない問題として取り沙汰されるのが、「女性の理系選択の少なさ」です。
日本は世界的にみても、女性の理系選択者が少ない国です。
世界の先進国が参加するOECD(経済協力開発機構)加盟国のうち、女性の理系比率は最下位で、とくに自然科学・数学・統計学の分野では、日本は大きく取り残されている構図です。

出所)東京大学「「なぜ理系に女性が少ないのか」
https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku23_2022a_frontier_yokoyama/
文部科学省の学校基本調査によると、医療系を除く理学部、工学部、農学部に在籍する女子は約20%で、教室に5人いてもそのうち女子はたった1人という計算になります。
エンジニアを多く輩出する工学部においてはさらに低くなり、6人中女子が1人という割合です。
もっとも、20年前に筆者が在籍していた工学部の電気系学科では、女子学生は200人中10人に満たず、割合にすると5%にも届きませんでした。
その頃を考えると、時の流れとともに、わずかながら前進しているとも言えるでしょう。
とはいえ、専攻や地域によって状況は異なり、依然として「少数派」であるという現実は大きく変わりません。
この状況を是正するための方策の一つとして導入されたのが、大学入試における「女子枠」の設置です。
国立大学の「女子枠」は年々拡大しており、2026年度入試では3年前の約19倍になりました。
難関国立大学の入試においても女子枠が導入されたことで、賛否を含めて大きな注目を集めています。
女子枠をめぐっては、「学生の多様性が促進される」という評価がある一方で、「性別で区切ること自体が逆差別ではないか」というネガティブな声もあります。
さらに、女子学生が「実力ではなく制度を利用して入った」という否定的なラベリングを受けることも懸念されています。
私個人の意見としては、入試の選抜方法の平等性に関しては議論の余地があるとしても、女子枠は、女子の理系選択者を増やすという意味では一定の効果があると考えています。
ジェンダーギャップが色濃く残る日本では、少々強引な後押しがない限り、状況は大きく変わらないのではないでしょうか。
また、母親の最終学歴が理系の場合、その娘も理系を選択する傾向が高まるという調査結果もあります。
つまり、女性の理系進学を後押しすることは、5年後、10年後に理系女性を増やすという短期的な視点にとどまらず、その先の次世代へと影響が広がっていく可能性も秘めています。
しかし一方で、入口を広げることと、理系としてキャリアを積み続けていくことのあいだには大きな隔たりがあることも、私自身の経験から実感しています。
技術者を辞めた私は「理系から降りた」のか?
およそ10年前、私が電機メーカーで働いていた頃は、女性技術者は圧倒的に少数派でした。
ロールモデルが身近に見当たらず、「この先どう働き続けるのか」という具体的なイメージを持てないまま日々を過ごし、激務も重なって、出産を機に退職してしまいました。
あの頃を思い返してみると、配属された部署は仕様設計の打ち合わせやプロジェクト管理が主な業務で、議事録作成や調整業務にほとんどの時間を費やしていました。
設計や品質管理、研究開発など、より現場に近い部署であれば違ったのかもしれません。
しかし、多くの従業員や関連会社を抱える大企業では業務が細分化されており、同期や同業他社の友人とも「エンジニアと言いつつ、結局WordとExcelしか使わないよね」などと話していたものです。
一方で、2010年代はIT人材の需要が高まっていたこともあり、SE職などで文系・理系を問わず採用する企業も増えていました。
文系出身者がプログラマーとして活躍しているという話も、よく耳にしていました。
現在私は、文章を書くという極めて文系的な仕事をしていますが、扱っているテーマは理系分野が中心です。
最新技術について触れたり、学生時代に学んだことを改めて勉強し直すことも多く、理系分野への興味・関心は尽きません。
確かにもう技術者ではなく、新たな製品を生み出すことも、論文を書くこともありません。
しかし、思考の土台は地続きのまま、技術と社会を結びつけるという役割を担っているつもりです。
こうした自身のキャリアを振り返って改めて思うことは、「一体、何が理系を理系たらしめているのか」ということです。
単に数学や理科が得意ということなのか、学歴や職種なのか、はたまたプログラムのスキルや専門的な資格の有無なのか、理系という言葉の輪郭は、意外とぼんやりしている気がします。
見直すべきなのは「理系」という枠組みかもしれない
理系人材を増やすという議論の前提には、「理系」と「文系」という学問上の分類が存在しています。
大学や専門学校などの教育機関で知識や技術を身につけることが、まず技術者としてのスタートになることは確かでしょう。
しかし、実際の仕事の現場では、理系と文系の境界が曖昧であることも少なくないのではないでしょうか。
私自身、技術者として働いていた頃も、そして文章を書く仕事をしている現在も、求められているのは「理系か文系か」という属性よりも、課題を整理し、構造を理解し、他者と共有する力であると感じています。
理系人材の不足は、「理系」という枠組みそのものの固定化が生み出しているという側面もあるのかもしれません。
本当に足りないのは、分野の枠を越えて学び続けられる環境や、性別や肩書きに囚われずに多様なキャリアを許容する社会なのではないでしょうか。
理系人材不足の解決には、理系か文系か、その二択の問いそのものを見直すことが、遠回りのようでいて、実は一番の近道なのかもしれません。


