ブラジルに負けて日本はなんとなくワールドカップ(WC)が終わった感があるが、私のWC観戦はまだまだ終わらない。決勝戦まで寝不足が続く。
私の記憶にある最も古いWCは1974年のドイツ大会決勝戦である。ベッケンバウアー率いるドイツとヨハン・クライフ率いるオランダとの闘い。資料によると、この試合がWCの試合として日本で始めて生中継されたものらしい。筆者の大親友でサッカー観戦友達のM子女史はベッケンバウアーファン、私はそのころヨハン・クライフに夢中であった。試合結果はヨハン・クライフの動きを完全に封じたドイツの完勝。
WCを見に行くなんて想像もしていなかった私に転機が訪れたのは2002年の日韓WCである。サッカー仲間から決勝戦を含むチームサポートチケットを譲るとの話が舞い込んだ。二つ返事で譲って頂く事にして、当時上海に駐在していた私は韓国へ三往復し、決勝戦は日本に飛んで、横浜国際総合競技場、現日産スタジアムでドイツ対ブラジル戦を観戦した。決勝戦の翌日成田に向かう成田エクスプレスの中でのブラジルサポーターの賑やかな喜び様、WCのもつサポーターの熱気を感じた。
その後はチームサポートチケットを入手する事に注力し、WC観戦にのめり込んでいった。日韓の後、2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、2018年ロシア大会まで連続でWCを観戦した。南アフリカ大会の際には試合の合間にジンバブエとザンビア国境に位置するVictoria Fallを見に行き、ブラジル大会の際にはアルゼンチンとの国境に位置するIguazuの滝を見に行った。
南アフリカ大会の際にはヨハネスブルグからケープタウン行の列車が遅れに遅れ、最後はFIFAのバスに乗り換えての移動となった。ケープタウンでの準決勝から翌日のもう一試合の準決勝の開催地ダーバンまでの移動は、フライトが途中のポートエリザベス待機となり、我々のフライトが無事にダーバンに降りられた最後のフライトだったと聞いた。有名歌手が搭乗していたフライトを始め、多くのフライトが空港混雑でダーバン空港に降りられず、チケットを持っていながら試合を観戦することが出来ないサポーターが多くいたようである。
ロシア大会では、準決勝の地サンクトペテルブルクからモスクワへの列車移動時に、同行の方がスリに遭われ、決勝戦のチケットを含む複数のクレジットカードを失くされた。パスポートを身に着けておられたことが幸いし、身元を証明することが出来たのはラッキー。モスクワ駅に到着後、駅近郊の警察署に直行し、WCのためのボランティア英語通訳を呼んでもらい、3時間近い事情聴取に同席した。なかなか得難い経験であった。
散々楽しんだ挙句に批判をするのは如何かとは思うが、FIFAの商業主義にかなり嫌悪感を抱いていた私はカタール大会をパスすることにした。
さて、今回の北中米大会である。先進国二カ国も含まれ、行き易いと期待したのだが、FIFAとトランプ大統領の商業主義がタッグを組み、大変な大会となった。
観戦チケットの高騰、ホテルは青天井の価格である。庶民の楽しみからはかけ離れてしまったように報じられていたので行く気をなくしていたのだが、FIFAのサイトを覗いていたら、その場で購入可能なHOSPITALY TICKETなるものを見つけてしまった。飲食ができるラウンジ付きのチケットである。商業主義を批判している我が身と贅沢病が心の中で葛藤して、日本のグループリーグ第三戦の”BUY NOW”のタブをポチってしまった。高額のチケットのため友人を誘うわけにもいかず、一人旅を覚悟し、飛行機とホテルの予約をした。
宿泊ホテルで一人旅の好青年S氏と知り合い、最大の懸念であったスタジアムの往復をご一緒頂く事になって一安心。試合当日はS氏が朝からWalmartにFIFAお土産Goodsを買いに行くと言われるので同行し、ランチはS氏がChat GPTの検索で見つけたお店に開店前から並んで、テキサスバーべキューを堪能した。我々が食事を終えてレストランを出た時には、同じChappy君に導かれたらしい日本人のサポーターを多く含む長蛇の列ができていた。

試合開始3時間前の開門に合わせてホテルを出て、私はゲートや保安検査で並ぶこともなく、スイスイ入場、席を確認してラウンジに向かった。シャンペンと食事を楽しんで席に戻ると想定外が出現。なんとガタイの大きいスウェーデン人三人組のサポーターが練習時間から立ち上がって、完全に視線を遮っているのだ。席はセンターラインの延長線上、素晴らしい場所だったのだが・・・。

そのスウェーデン人三人組に座ってくれるよう頼んでみたが、「君も立ってみれば!」と、座る気は全くなし。私は立ち上がってもあなた方の首の隙間からしか見えませ…ン。 首を左右・上下・斜めに傾け、大型スクリーンも併用しての観戦となった。帰路はS氏と待ち合わせて30分ほど歩いてホテルに無事帰着。S氏に感謝でした。

私はゲームの翌日帰国の途に着き、帰国後は夜中、早朝のゲームをTV観戦、睡眠不足と闘いながら日々の生活を送っている。
こうして人一倍?人の10倍WCを楽しんでいる私だが、FIFAの商業主義には多々疑問を感じている。その一つが大会の多さである。4年に一度のWCに加え、UEFAやそれぞれの地域サッカー協会主催のEuro Cup、Asia Cup、コパ・アメリカ等に参加する代表選手は所属するリーグ戦の合間にそれらの大会の予選を戦い、リーグ戦終了後に大きな大会が待っている。クラブ選手権もある。移動距離も含め選手の負担は如何ばかりか、選手に怪我が多いことと無関係ではあるまい。
また、WCや大きな大会期間中は大きな事件がなく、主催者は“大成功”と発表するが、特に発展途上国における開催がその国の大会後の発展にどれほど寄与したのか疑問も感じる。2012年にEuro Cupがポーランドとの共催で開催されたウクライナ、会場の一つであったドネツクが今どのような状況になっているかは報道の通りである。Euro Cupを観戦にドネツクを訪れた時にタクシー会社の女性Managerが「この大会を機に私達もEuropeの一員として発展するのだ!」と、熱く語っていたことが思い出される。
今朝(7月6日)入ってきたニュースは、特定の国のレッドカードをもらった選手の出場停止を一年間延期するというものである。通常レッドカードをもらうと次の試合には出場できない。それをFIFA自身が覆した。そんなことがまかり通ってよいはずはない。主催国の政治家の介入があったと報道されていて、各国のサッカー協会やUEFAからも批判が出ている。決勝戦まで、まだまだ耳にしたくない醜聞が聞こえてきそうである。
サッカーというボール一つでゲームができるスポーツの持つ意味は大きい。ほんの一握りとはいえ、貧困層や難民出身で世界的なプレーヤーへの道が開かれていることも意義のあることである。同時に庶民が大きな大会の観戦を楽しめるスポーツイベントであって欲しい。今大会は放映権の高騰で有料放送でしか視聴できないと言われていたが、結果としてNHKはじめ一部民放でも放映された。ぜひ続けてほしい。
次回はスペイン、ポルトガル、モロッコの三カ国共催である。もう高齢でとても一人旅は出来そうもないし、FIFA批判も続けそうであるが、大会が近付くとまた心が動くのかもしれない。
最後に今大会で主催国から数々の制限を受けながら戦い抜いたイラン代表チームがロッカールームに残したメッセージを紹介したい。
From the ancient Persia of thousands of years ago to the civilized Iran of today, the spirit of Iran remains alive and steadfast. We came to Los Angeles with pride, competed with honor, and leave with dignity. Thank you, Los Angeles, for your hospitality. And thank you to every Iranian who gave their heart, voice and soul for Iran throughout these 180 minutes. May peace, respect and friendship prevail among all nations.”
千年前からの古代ペルシャから、今日の文明国イランに至るまで、イランの精神は今も生き続け、揺るぎないものです。私たちは誇りを胸にロサンゼルスへやって来て、名誉を持って競技に臨み、尊厳を持ってこの地を後にします。ロサンゼルスの皆様、温かいおもてなしをありがとうございました。そして、この180分間、イランのために心と声、そして魂を捧げてくれたすべてのイラン人に感謝します。すべての国々の間に、平和と尊敬、そして友情が満ち溢れますように。

