化学業界における地政学リスク ―有価証券報告書における地政学リスクに関する分析及び会計処理への影響―

コラム

 中東やロシア・ウクライナでの情勢悪化など、近年では製造業に大きな影響を与える地政学リスクが顕在化しています。化学産業はナフサ由来の基礎化学品を多く扱っており、製造業の中でも特に中東情勢の緊迫化の影響が大きい業種です。関連してナフサ不足が報道されるなど、今まで以上に業界への注目度が高まっています。
そこで、本稿では、2026年3月期および2025年12月期(以下、「2025年度」)の有価証券報告書を対象に、東京証券取引所プライム市場に上場し、かつ、業種が「化学」である企業のうち、連結売上高上位20社について、「事業等のリスク」の記載内容を分析し、各社が地政学リスクとしてどのようなリスクを識別しているか、またどのように対応しているか、さらに、会計処理にどのような影響があり得るかを考察します。なお、文中の意見は、筆者の私見であることを申し添えます。

各社における地政学リスクの識別

 当該20社うち、18社が有価証券報告書の「事業等のリスク」で「地政学」や「中東」という言葉を使って明確に記載していました。明確に記載していない会社であっても、原燃料価格高騰やサプライチェーン分断といった、地政学に起因するリスクを記載しており、すべての会社で地政学リスクに関連したリスクを認識していました。

 地政学的要因に起因するリスクとして、主に以下の3つが記載されています。

  • 原料調達に関するリスク(サプライチェーンの分断など)
  • 原燃料価格の高騰に関するリスク
  • グローバル展開に伴うリスク(為替変動/関税など)

 上述の通り、化学業界はナフサ由来の基礎化学品や、基礎化学品を原料とした誘導品を取り扱っています。また販売価格、仕入価格ともにフォーミュラー化されていることも多く、原料市況が業績に大きく影響するという特徴があります。さらに化学業界の会社の多くは、日本で生産し輸出するというわけではなく、世界各国に製造拠点を構え、生産・販売を行っているという特徴があります。「事業等のリスク」に記載されているリスクも、化学業界の特徴から生じるものであり、業界内の多くの会社に該当すると考えられます。

 基礎化学品の原料となるナフサは、中東からの輸入が多く、今回の中東情勢の悪化に伴い、特にサプライチェーンに大きな影響を与えています。「事業等のリスク」の記載内容についても、2025年度より前から原燃料価格の高騰については記載されているケースが多かったですが、2025年度になると原料調達に関するリスクを記載する会社も多くなり、また記載についても「中東情勢の悪化」、「ホルムズ海峡封鎖」といった具体的な理由を記載しているケースもありました。

地政学リスクへの対応

 次に、各社が地政学リスクとして記載している事項に対して、どのような対応を掲げているかについて見ていきます。以下は、各社の主な対応をまとめたものです。

リスクリスクへの対応
原料調達に関するリスク・サプライチェーンの全体像の把握
・原燃料の複数購買
・代替原料の検討
原燃料価格の高騰に関するリスク・販売価格への転嫁
・代替原料の検討
グローバル展開に伴うリスク・ヘッジ取引の実施
・製造拠点の多様化

 今回の中東情勢の悪化においては、特定の拠点から原料を仕入れていることによるリスクが顕在化しており、その対応について詳しく記載している事例が多くありました。多くの会社で、原燃料の複数購買を進める、代替原料の検討を進めるという点を記載していました。

 原燃料の複数購買については、報道でも触れられている通り、中東に依存していた状況から分散する動きが出ており、まさにその点が各社の対応にも記載されています。

 地政学リスクは、突発的に発生することが多く、企業は対応方針を迅速に決定するために、タイムリーに情報収集を行う必要があります。以前にEUでのELV指令の改正に伴う炭素繊維規制の動きがあった際にも、タイムリーに情報を収集し、ロビー活動など適切な対応を行った結果、規制は見送られる方向となりました。

 このため、事業部間、事業部・製造部間のタイムリーな情報連携について記載している事例も見られました。

会計処理への影響

 最後に会計処理への影響を見ていきます。
 上述のリスクが顕在化すると、例えばサプライチェーンの分断や原燃料価格の高騰に伴い業績が悪化する可能性があります。また為替の変動により業績に大きな影響を与えることも考えられます。
 それらのリスクに関連する会計処理として、主に以下の点が考えられます。

(1) 固定資産の評価

 化学産業は多額の投資が行われており、固定資産残高が多額となっているという特徴があります。仮に原材料の調達が困難となり生産に影響する場合や、原燃料価格の高騰に伴い業績が悪化する場合などには、減損の兆候に該当するか判断が必要となります。減損の兆候に該当する場合には将来キャッシュ・フローを見積もることとなりますが、その場合、この情勢がどの程度続くのか、原材料の価格はどのように推移していくのかなどの各仮定について慎重な検討が必要となります。

(2) 棚卸資産の評価

 原燃料価格の高騰に伴い生産コストが上昇傾向にある場合、最終的な製品コストの単価が上昇することになります。仮に販売価格にそのコスト上昇分を転嫁できない場合、正味売却価額(IFRSでは正味実現可能価額)が製品コストの単価を下回る可能性もあり、その場合には棚卸資産の評価減が必要となります。

(3) デリバティブ取引

 グローバル展開をしている会社では輸出入が行われており、為替変動が業績に影響を与える場合があります。その場合、2.地政学リスクへの対応にも記載した通り、為替予約などのデリバティブ取引を行い、為替変動リスクを軽減している会社もあります。
 そのデリバティブ取引に対しヘッジ会計を適用する場合には、ヘッジ会計の適用要件を満たしているか検討が必要となります。

 地政学リスクは、原料調達や原燃料価格、為替変動を通じて、化学業界の事業活動に身近な影響を及ぼしています。各社の対応は進みつつありますが、その影響は固定資産や棚卸資産の評価、デリバティブ取引など会計面にも広がり得ます。筆者としても、中東情勢の変化が各社の事業や会計処理にどのような影響を与えるのか、引き続き注視していきます。

志村 誠
EY新日本有限責任監査法人 公認会計士